幸多き人が住まう美しい国 “ぽかぽか村”

幸多き人が住まう国
“ぽかぽか村”健康で幸せな人生を生きるための健康道場
 

幸多き人が住まう美しい国

 

昔、昔の遥か昔、東の果てに幸多き人が住まう国があった。
その国の人々は常に笑顔で、豊かさに満ち溢れ、分かち合い、
何をすれば目の前の人が喜ぶのかを考え実行する人たちであった。
常にエネルギーの交流があり、全てのエネルギーは滞ることなく流れ、
精神的にも経済的にも豊かでお金もエネルギーも感謝の気持ちで流通した。

大国の人々は、その国を「黄金の国ジパング」と呼んだ!

ジパングでは、 一部の人たちは
「○○道」
といって、道を究めようと日々研鑽した人々がいた。
武士道の精神は、人を殺めるのでなく「いかに生かす」かの精神を極めた。
道を究めた人たちを、人々は尊敬と敬意をもって敬った。
その精神を極めた人たちは、人々を愛と慈しみをもって接することができた。

忍という意味は、「鞘のうちの剣」といって「刀」「〆」「心」をさす、
「鞘のうちの剣」といって「気」を持って刀を抜かないで相手を生かす、
命を落とすのでなく、命を生かすことを極めた。
武士道を極めた人たちは、敵をも仲間に変えてしまう大きな器を持っていた。


武が目指したのは、「生き方」であった。
お互いの命を尊重し、自分の命を大切にした生き方を実践した。
また、自分自身の「あり方」を極めた人たちであった。
武士道以外にも、「茶道」「書道」「神道」「仏道」などの道を究める人もいて、
全ての道の行き着く場所は同じ「頂」であった。

 

そのジパングでは、
あるルールがあり、そのルールに従って人々は生きていた。
そのルールは、「目の前の存在に喜ばれえる」こと
この存在とは、物には魂が宿り、それを「八百万の神々」と言って
すべての存在を「神」の御霊として大切に扱うことだった。
ジパングの人々の心は、常に「平安」で安定し、調和され、愛に満ち、
いつでも他を受け入れ自他の境無く平和な心を持っていた。

 


一方、大国では常に「奪いあい」が絶えなかった。
ものを粗末にし、人の命すら粗末に扱っていた。
もっと怖いのも自らの命すら粗末に扱ったり、殺めたりもしていた。


人の生死を決めるのはその本人ではなく、誰かであった。
その国では、「いかに生きるか」では無く、
「いかに利用する」「いかに奪うか」を考え、実行した。
大国の指導者は敵の命は自分の権限で支配し、殺めたりもした。
大国の人々は、常に心は鎖国状態で他を受け入れない姿勢で生きていた。

 

結果的に人々の顔には角が立ち、まさしく鬼の形相をしていた。
人々は、自分の心を満たされるかを考えたが一向に心が満たされていないのが現状だ。
自分以外の人間はすべて信用できず、家族間ですらいさかいが絶えず、
常に不平と不満の葛藤を持っていた。
彼らの心を満たしてくれるのは年に一度だけであった。

 

全く正反対の国どうしは、仲が悪かったのかというと非常に仲が良かった。
ジパングの人々は、全てを受け入れ溢れ出る愛を分け与え、
他の者を大切に扱い、敬い、感謝し、尊敬の念を持って接した。
1年に一度だけ、ジパングと大国の交流がある。


大国の人は、自分たちを大切にし、敬い、感謝、尊敬してくれるジパングの人たちが
来るのが待ち遠しくてしかたがなかった。
自分以外のものが信用できない大国の人を唯一癒しを与えてくれるのが
ジパングの人であった。

 

大国の人はジパングの民が来ると歓迎し、喜び、
マッサージを受けたり、掃除をしてもらったり、食事を作ってもらったりして
久しぶりに笑顔になり、ジパングの人によって癒され、満たされた。
大国の人はジパングの人へ感謝の気持ちとして笑顔で対価を支払った。

ある時、中立国が現れ両国を観察し違いを研究した。
ジパングでは、2万人の満たされた人々と金塊が80万本あり、
人々は常に笑顔で豊かさに満たされ愛と勇気と行動力があり感謝して生きていた。
一方、大国では、98万人の満たされない人々と金塊20万本あった。
ジパングの人々は、より多くの幸を分かち合い満たされ与え、感謝しあった。
大国の人々は、人と人を比べあい、奪い、競い合い、満たされることは無かった。

 

研究して、わかったことだが、
この大国で初めて硬貨が製造されたとき硬貨の真ん中に□の穴が開いており、
□の穴を利用して上から右回りで「吾唯足知」と読めるようになっていた。

我唯足知

昔、昔、初めて硬貨作った賢者は、
お金のエネルギーは人々の魂から良心を奪うことを知っていた賢者は、
流通した硬貨を見たときに「心」をとらわれない様に工夫した。

しかし、現在大国ではその硬貨は流通しておらず、賢者の魂の伝承は途絶え、
ジパングでは、賢者の魂は永遠のエネルギーとなって人々の魂の中に存在した。

 

研究してもっとも理解できたのは、
キリストの精神である「愛」と釈迦の教えである「八正道」であった。
2000年以上前に聖者達が伝えたことが現在も人の魂の中に生かされていた。
与えれば与えられ、奪えば奪われる。
精神、感情、魂、物質、金銭、行動全てにおいて与えれば与えられ、奪えば奪われる。
小学生でもわかることだが大国の人は頭だけでしか理解していない。
そして、ジパングの民は細胞レベルで理解し自然と振舞うことができた。

 

現在、日本、世界はこの大国の姿となって、
自他を競いあい、比べあい、争い、奪いと戦いが続けられています。
あなたは、どちらの住民になりたいですか?
どちらを選ぶのも自由です。
しかし、ひとついえることは選ばなくとも日本は大国の思想と行動をとり、
あなた自身は意図して選ばない限り、大国の思考を教育されています。

 

「井の中の蛙」
井戸の中の蛙は井戸の中にいることすら気づきません。
日本人もいまや「井の中の蛙」状態となっているやも知れません。
洗脳教育によって、足らない、足らない、足らないと洗脳し不足を教え、
世界を見れば、幸せに満たされていることを忘れ去っているようです。

 

「吾、唯、足るを知る」(ワレタダタルヲシル)

今、満たされていることを知り、与え始めると全ての現象は変わり始めます。
幸せは探しても求めても、向こうからきません。
幸福の国の民はそのことに気づき、与え始める生き方を実践しました。
結果として彼らは常に喜びに満たされ笑顔で毎日を過ごしています。

 

 

陽あたりは、ぽかぽか村を極東の国ジパング、
イエスの精神や釈迦の教え、かつての日本人の精神、魂、生き方、あり方を実践し、
心身ともに健康で満たされた人々の住む聖域にしていきたいと思います。

 

このように発言すると陽あたりは宗教家って言われますが・・・
「ハイ!そうです。宗教家」ですと今は答えています。
だから、安心にしてください。
今は、根っからの宗教家です。
でも、仏教徒でも、キリスト教でも、イスラムでも、ヒンズーでもありません。

 

宗教の「宗」「宀」「宇宙」を表し、
宗教とは「宇宙」「示」し、「教え」るものです。
陽あたりの宗教は、経典からだけの教えではなく
個人の中に眠る叡智そして全ての存在からの教えです。
陽あたりの宗教は、宇宙だから布施も何かへの崇拝も無く、
ただただ、目の前の人を尊敬し、敬愛し、感謝するものです。
陽あたりの師匠は目の前の存在する全てのものが師匠です。

 

ぽかぽか村の住人になるにはルールがあり、
そのルールは、他の者を愛し、自分と等しく扱い敬い尊び感謝し、
「喜ばれる存在」を目指す人になることです。
「喜ばれる存在」は、あなたが望んだときにすぐになれます。
陽あたりは、あなたの心に“ぽかぽか”と穏やかなエネルギーを注ぎたい♪

 

ご縁のある人は、いつでもぽかぽか村にお越しください♪

 

平成22年5月27日 
ぽかぽか村 代表 陽あたり

 




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